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高柳さんのお話し会

高柳さんのお話し会を開催しました

たった2時間弱でしたが、とっても濃密な時間を過ごせました。

高柳さんのお話はいつも聞いているのですが、果たして今回参加した方々にはどう聞こえたのかというと・・・

アンケートを取ったのですが、全員が「次もまた聞きたい」ということでした

ということで、高柳さんのご都合がつけば、シリーズ化したいと思います


今の日本の世の中は「疑問を持つ人」は「おかしな人」と思われる雰囲気があります。

それは、「与えられた情報にそのまま従うのが一番だよ」という教育をずっとずっと受け続けてきたから。

例えば、み~んな「学校の勉強って、本当に必死でやることなの?」という疑問を持っていると思うのですが、塾に行かせます。

でも、学校で学んだ授業の内容は、私は「結局、今になって良かった」と思うことはほとんどありません

そうではなくて大学で深夜まで考え語り合い、いろいろやったサークル活動や、単位は関係ないけど自分で選んだコミュニケーションギャップの外国人講師の授業は、今でも自分にとって有意義だったな~と思っています。

「主体性を発揮し、学ぶ」ことが大切なわけですね


今回、参加したみなさんは、そういった意味で今の学校や食べ物や社会など何かしらの「疑問」を持っていて、「有機農業を長年やってきた農家さん」のお話から何かを学べるかも、という「意識」がある人が集まったわけです。

そういった方々だから、高柳さんのお話が響いたのでしょう。


そして、そういった「子供たちにとって社会を提示していく大人だからこそ、考え、学ぶ場」を作っていくことは、地域をよくする活動にとってとても大切だという実感を持てたのは、私にとっても大きな収穫でした。

セカンドスクール、必要です。

・コミュニティーを作ろう
・全体を把握した上でその中の自分の位置づけが理解できることをやろう
・村を作って村長になろう
・パッション先生になろう

・・・若かりし頃に考えていたことは、今ではよりリアルに体現できるものになりそうです。

セカンドスクール作り。これからがとても楽しみですワクワク


p.s 以下今日の高柳さんのおはなし会のメモ書きです。
時間がないのでまとめていませんし、文章にすると面白いお話も堅苦しくなるので、本当は生の高柳さんに触れて欲しいのですが、一応共有しておきますね。

■高柳家の紹介
1900年(明治33年)、1925年(昭和5年)、1950年(昭和25年)、1975年(昭和50年)、2000年と25年ごとに次の代が生まれている家系。

お寺を見ると代々「高柳源右衛門」だったので、恐らく名前は世襲だったのだろう。

そんな家系で大須賀村、旧大栄町に生まれ育った。
高柳さんの時代は中学生から高校に行くのは50%ぐらいで、半分は仕事に就いた時代。

高知に近代農業の研修に行った時、電車でトンネルを抜けると村が「縦」にあった。
関東「平野」に育った高柳さんは、谷沿いに集落があり家の上に田んぼがあるといった「縦」の村を見てカルチャーショックを受け「人間は凄いな~。こんなこともやってのけるのだ。人間は贅沢をしてはいけないな~」と思ったそう。

そこでナスなどの「近代農業=化学肥料、化学農薬、機械化」を学んでから地元に帰ってきて農業を始めた。

■無農薬有機農業への転換
当時は何かを専業に作るのではなくいろいろ作るのが当たり前の時代だった。高柳家も牛、鶏、田んぼ、畑といろいろやっていた。
高柳家で絞った牛乳は今もある「八千代牛乳」に出荷していた。
当時はまだ生協が無い時代で、花見川団地で「天然牛乳を飲む会(東京の方では四つ葉牛乳といった名前でもあった)」というのがあった。昭和30年は田舎のもの1000万人ぐらいが「金の卵」と言われて東京に出て行った。ところが東京で飲んだ牛乳は田舎で飲んだものと違い、おかしい、おいしい牛乳を飲みたい、という思いをもった者たちが始めた運動。当時は高度経済成長時代に入っていたが、食も高度経済成長していて、明治・雪印・森永といった3大牛乳メーカーが還元ジュースのような製法で牛乳を作っていたから、田舎で普通の(本物の?)牛乳を飲んでいた者たちが声をあげた。
そんな人達から「ちゃんとした野菜を食べたい」といった声もあがってきた。そこで若手で「大栄町直販会」を作って花見川団地に野菜を運び始めた。昭和40年代からは生協が広がり始め、東都生協からも依頼があって東京の板橋区などにも野菜を持っていったことがあった。
そうやっていると当時の生協の人たちはとても勉強していた。当時は農業普及指導員がマニュアルに即して1反で農薬はこれだけ、化学肥料はこれだけ、という指導を全国でしていたが(今もしているが)、その前提で食べ物は人間が作れる、コントロール出来るという考えがあった。一方で、自然農法の福岡正信さんの「わら一本の革命」など、本来人間が作れるののでなく、自然の摂理の中で育っていくものに手を貸すだけでしょう、といった発想の大転換も出てきた。
その他に、レイチェルカーソンの本を読むなどして、自分たちも勉強した。そして化学肥料、化学農薬が無いと作れないっておかしいよな、と思うようになっていった。
だから、私たちは有機農業をやろう、というよりは、当時まだ化学農薬などが出てきてたかだが20~30年(今は40~50年だが)しかたってないのに、それがなければ野菜ができないというのはおかしいよな、「本来のものに戻ろう」ということで農薬や化学肥料を使わないで野菜を作るようになっていった。


■農業というものは何なのか?
農業というのは何なのか?を考えていた。
なぜかこの国は「農業を農家の問題」にしてしまう。俺ら関係無い、となっている。
40年前、海外に出てカルチャーショックを受けた。
例えばフランスでは、「農業問題=食の問題だから俺らの問題」という意識があった。
マルシェで日本人の習慣で野菜を選んでしまったら「そういうことをしちゃいけない」と言われた。なんでかと聞くと「食べ物は選んじゃいけない。食べ物は天の恵。恵みものは選んじゃいけない」と言われた。他には理由があるのか?と聞いたら「選ぶということは良いものを選ぶこと。すると残るのはそれよりは悪いもの。じゃああとからくる人のは良いのか?」と聞かれた。もっともだと思った。

またフランスで牛乳は必ず前から買っていく。何でか聞いたら前にあるものに対して「これは今飲んでいいもの。あとの人はいつくるかわからじゃないか」という。日本では後ろから選ぶでしょ。自分のことしか考えない。これはモラルの問題。考え方やモラルは目に見えないからなかなかわからないが、フランスもなかなかやるな、と思った(笑)シャネルとかブランドものはごく一部の人だけで、一般の人は買わないということ。

人間がお医者さんに頼っていていいのか?という発想。もちろん必要な時は医者にかかったり薬に頼らないといけない時もあるが、生きていくのにいつも頼りきっているのは良いのか?という発想で農業も同じ。
野菜も殺虫剤、殺菌剤、土壌消毒剤に頼って育ったもので良いのか?



■土
タイから有機農業をやりたいといって来た青年は、日本のきゅうりはきゅうりじゃない、といった。なぜかと聞いたら、スーパーでみたきゅうりは全てまっすぐだ、そんなの異常だといった。もっとも。
そんな彼がタイで有機農業をやるのに「有機物をどう集めるか?」という問題と「高温で微生物が活発ですぐに有機物が分解してしまう」ことを困っていた。それほど緯度というのは大事。
日本では土は30センチできるのに1000年かかると言われている。1センチできるのに100年かかるという学者もいる。全地球的には生きている土は平均で15センチぐらいしかないらしい。タイではすぐ分解してしまう。ジャングルを一度伐採したら二度と戻らない。蓄積より分解が早いため。とはいってもかつてはタイはメコン川がヒマラヤの肥沃な土を運んできていたのだけど。ウクライナが世界で肥沃な土地と言われているのあは、緯度がちょうどよくて土が蓄積するから。耕土が3~5mあると言われている。

■その他いろいろ
農薬や化学肥料を使わない理由は、あとは、自給自足をしたかったというのと、昔からそうだった、またおばが36歳でガンで死んだというのがあった。

お茶の水クリニックの森下敬一先生の30~40年前ぐらいの本で「ガンは食で治せる」があった。添加物では郡司篤孝先生の本が良かった。

農業と食べ物は裏表。
農業があるから食べ物がある。
食べものがあるから農業がある。
どんな食べ物かに興味をもつなら、どんな農業か興味を持つのが当たり前のはず。だって裏表なのだから。
でも、日本はそういった育て方をしない。教育というのは本当に恐ろしい。

家畜を飼っていたからわかるが、給食は豚の管理と同じ。
給食は栄養士が献立を作るが、それはどのぐらいの餌を与えてどれだけ体が大きくなるか、といったもの。
欲しい肉の量に対して、鶏は大体3倍、豚は6倍、牛は10倍の穀物の餌を上げればいい。
そういった考え方と全く同じ。

人間も自然界の1つで、食物連鎖の1つであり、生態系の1つである。自然の摂理の中で生きている。
食べ物は安全であるかどうか、なんていうのは本当はおかしな話。
おじいちゃんの代は、食べることは喜びで、安心、安全なんか関係なかった。
自分が子供の頃も、「何が食べれるか、どうやって食うかという時代」だった。あのクリはたべれるぞ、あのユズは食べれるが酸っぱいぞ、なんてことばかりやっていた。しかし、今の時代は「食べ物を選ぶ時代」。
ある学者が調べたのだけど、全国のサル園の30%が奇形児だそう。そこの飼育員は「人間とまったく同じ餌しか与えていない」という。コストの問題があり、輸入物や安いものを与えているのでしょう。そういったものを我々人間は食べている。銀座の野良猫や野良犬は人間と同じものを食べているから成人病、肥満(笑)

添加物は1500~2000あると言われている。人工的なものでも三百数十種類。1年間に60万t消費されているから、日本人は1人あたり平均5kgの添加物をたべている。国は塩の摂取量を1日10g以下にしろと言っているけど、添加物もそういった規制をつくればいいのに(笑)
1972年の塩専売法で塩田は全て廃止させられ塩は国家管理になった。全国で作っていた塩田を工業地帯に変えてしまった。海外から買ったほうが安いから。99%NaClの化学合成物質を食わされてきた。我が家は本当のちゃんとした塩をとれば、体はきちんと外に出すから大丈夫と言っている。

アトピーやアレルギーは添加物が原因、成人病はタンパク質や脂肪の摂り過ぎが原因。



生きることは学ぶこと、学ぶことはそだつことである
本物を探せ、学ぶということは本物かどうかを見極められるようになることだ
これが私の中心にど~んとある。高柳さんのお話し会を開催しました

たった2時間弱でしたが、とっても濃密な時間を過ごせました。

高柳さんのお話はいつも聞いているのですが、果たして今回参加した方々にはどう聞こえたのかというと・・・

アンケートを取ったのですが、全員が「次もまた聞きたい」ということでした

ということで、高柳さんのご都合がつけば、シリーズ化したいと思います


今の日本の世の中は「疑問を持つ人」は「おかしな人」と思われる雰囲気があります。

それは、「与えられた情報にそのまま従うのが一番だよ」という教育をずっとずっと受け続けてきたから。

例えば、み~んな「学校の勉強って、本当に必死でやることなの?」という疑問を持っていると思うのですが、塾に行かせます。

でも、学校で学んだ授業の内容は、私は「結局、今になって良かった」と思うことはほとんどありません

そうではなくて大学で深夜まで考え語り合い、いろいろやったサークル活動や、単位は関係ないけど自分で選んだコミュニケーションギャップの外国人講師の授業は、今でも自分にとって有意義だったな~と思っています。

「主体性を発揮し、学ぶ」ことが大切なわけですね


今回、参加したみなさんは、そういった意味で今の学校や食べ物や社会など何かしらの「疑問」を持っていて、「有機農業を長年やってきた農家さん」のお話から何かを学べるかも、という「意識」がある人が集まったわけです。

そういった方々だから、高柳さんのお話が響いたのでしょう。


そして、そういった「子供たちにとって社会を提示していく大人だからこそ、考え、学ぶ場」を作っていくことは、地域をよくする活動にとってとても大切だという実感を持てたのは、私にとっても大きな収穫でした。

セカンドスクール、必要です。

・コミュニティーを作ろう
・全体を把握した上でその中の自分の位置づけが理解できることをやろう
・村を作って村長になろう
・パッション先生になろう

・・・若かりし頃に考えていたことは、今ではよりリアルに体現できるものになりそうです。

セカンドスクール作り。これからがとても楽しみですワクワク


p.s 以下今日の高柳さんのおはなし会のメモ書きです。
時間がないのでまとめていませんし、文章にすると面白いお話も堅苦しくなるので、本当は生の高柳さんに触れて欲しいのですが、一応共有しておきますね。

■高柳家の紹介
1900年(明治33年)、1925年(昭和5年)、1950年(昭和25年)、1975年(昭和50年)、2000年と25年ごとに次の代が生まれている家系。

お寺を見ると代々「高柳源右衛門」だったので、恐らく名前は世襲だったのだろう。

そんな家系で大須賀村、旧大栄町に生まれ育った。
高柳さんの時代は中学生から高校に行くのは50%ぐらいで、半分は仕事に就いた時代。

高知に近代農業の研修に行った時、電車でトンネルを抜けると村が「縦」にあった。
関東「平野」に育った高柳さんは、谷沿いに集落があり家の上に田んぼがあるといった「縦」の村を見てカルチャーショックを受け「人間は凄いな~。こんなこともやってのけるのだ。人間は贅沢をしてはいけないな~」と思ったそう。

そこでナスなどの「近代農業=化学肥料、化学農薬、機械化」を学んでから地元に帰ってきて農業を始めた。

■無農薬有機農業への転換
当時は何かを専業に作るのではなくいろいろ作るのが当たり前の時代だった。高柳家も牛、鶏、田んぼ、畑といろいろやっていた。
高柳家で絞った牛乳は今もある「八千代牛乳」に出荷していた。
当時はまだ生協が無い時代で、花見川団地で「天然牛乳を飲む会(東京の方では四つ葉牛乳といった名前でもあった)」というのがあった。昭和30年は田舎のもの1000万人ぐらいが「金の卵」と言われて東京に出て行った。ところが東京で飲んだ牛乳は田舎で飲んだものと違い、おかしい、おいしい牛乳を飲みたい、という思いをもった者たちが始めた運動。当時は高度経済成長時代に入っていたが、食も高度経済成長していて、明治・雪印・森永といった3大牛乳メーカーが還元ジュースのような製法で牛乳を作っていたから、田舎で普通の(本物の?)牛乳を飲んでいた者たちが声をあげた。
そんな人達から「ちゃんとした野菜を食べたい」といった声もあがってきた。そこで若手で「大栄町直販会」を作って花見川団地に野菜を運び始めた。昭和40年代からは生協が広がり始め、東都生協からも依頼があって東京の板橋区などにも野菜を持っていったことがあった。
そうやっていると当時の生協の人たちはとても勉強していた。当時は農業普及指導員がマニュアルに即して1反で農薬はこれだけ、化学肥料はこれだけ、という指導を全国でしていたが(今もしているが)、その前提で食べ物は人間が作れる、コントロール出来るという考えがあった。一方で、自然農法の福岡正信さんの「わら一本の革命」など、本来人間が作れるののでなく、自然の摂理の中で育っていくものに手を貸すだけでしょう、といった発想の大転換も出てきた。
その他に、レイチェルカーソンの本を読むなどして、自分たちも勉強した。そして化学肥料、化学農薬が無いと作れないっておかしいよな、と思うようになっていった。
だから、私たちは有機農業をやろう、というよりは、当時まだ化学農薬などが出てきてたかだが20~30年(今は40~50年だが)しかたってないのに、それがなければ野菜ができないというのはおかしいよな、「本来のものに戻ろう」ということで農薬や化学肥料を使わないで野菜を作るようになっていった。


■農業というものは何なのか?
農業というのは何なのか?を考えていた。
なぜかこの国は「農業を農家の問題」にしてしまう。俺ら関係無い、となっている。
40年前、海外に出てカルチャーショックを受けた。
例えばフランスでは、「農業問題=食の問題だから俺らの問題」という意識があった。
マルシェで日本人の習慣で野菜を選んでしまったら「そういうことをしちゃいけない」と言われた。なんでかと聞くと「食べ物は選んじゃいけない。食べ物は天の恵。恵みものは選んじゃいけない」と言われた。他には理由があるのか?と聞いたら「選ぶということは良いものを選ぶこと。すると残るのはそれよりは悪いもの。じゃああとからくる人のは良いのか?」と聞かれた。もっともだと思った。

またフランスで牛乳は必ず前から買っていく。何でか聞いたら前にあるものに対して「これは今飲んでいいもの。あとの人はいつくるかわからじゃないか」という。日本では後ろから選ぶでしょ。自分のことしか考えない。これはモラルの問題。考え方やモラルは目に見えないからなかなかわからないが、フランスもなかなかやるな、と思った(笑)シャネルとかブランドものはごく一部の人だけで、一般の人は買わないということ。

人間がお医者さんに頼っていていいのか?という発想。もちろん必要な時は医者にかかったり薬に頼らないといけない時もあるが、生きていくのにいつも頼りきっているのは良いのか?という発想で農業も同じ。
野菜も殺虫剤、殺菌剤、土壌消毒剤に頼って育ったもので良いのか?



■土
タイから有機農業をやりたいといって来た青年は、日本のきゅうりはきゅうりじゃない、といった。なぜかと聞いたら、スーパーでみたきゅうりは全てまっすぐだ、そんなの異常だといった。もっとも。
そんな彼がタイで有機農業をやるのに「有機物をどう集めるか?」という問題と「高温で微生物が活発ですぐに有機物が分解してしまう」ことを困っていた。それほど緯度というのは大事。
日本では土は30センチできるのに1000年かかると言われている。1センチできるのに100年かかるという学者もいる。全地球的には生きている土は平均で15センチぐらいしかないらしい。タイではすぐ分解してしまう。ジャングルを一度伐採したら二度と戻らない。蓄積より分解が早いため。とはいってもかつてはタイはメコン川がヒマラヤの肥沃な土を運んできていたのだけど。ウクライナが世界で肥沃な土地と言われているのあは、緯度がちょうどよくて土が蓄積するから。耕土が3~5mあると言われている。

■その他いろいろ
農薬や化学肥料を使わない理由は、あとは、自給自足をしたかったというのと、昔からそうだった、またおばが36歳でガンで死んだというのがあった。

お茶の水クリニックの森下敬一先生の30~40年前ぐらいの本で「ガンは食で治せる」があった。添加物では郡司篤孝先生の本が良かった。

農業と食べ物は裏表。
農業があるから食べ物がある。
食べものがあるから農業がある。
どんな食べ物かに興味をもつなら、どんな農業か興味を持つのが当たり前のはず。だって裏表なのだから。
でも、日本はそういった育て方をしない。教育というのは本当に恐ろしい。

家畜を飼っていたからわかるが、給食は豚の管理と同じ。
給食は栄養士が献立を作るが、それはどのぐらいの餌を与えてどれだけ体が大きくなるか、といったもの。
欲しい肉の量に対して、鶏は大体3倍、豚は6倍、牛は10倍の穀物の餌を上げればいい。
そういった考え方と全く同じ。

人間も自然界の1つで、食物連鎖の1つであり、生態系の1つである。自然の摂理の中で生きている。
食べ物は安全であるかどうか、なんていうのは本当はおかしな話。
おじいちゃんの代は、食べることは喜びで、安心、安全なんか関係なかった。
自分が子供の頃も、「何が食べれるか、どうやって食うかという時代」だった。あのクリはたべれるぞ、あのユズは食べれるが酸っぱいぞ、なんてことばかりやっていた。しかし、今の時代は「食べ物を選ぶ時代」。
ある学者が調べたのだけど、全国のサル園の30%が奇形児だそう。そこの飼育員は「人間とまったく同じ餌しか与えていない」という。コストの問題があり、輸入物や安いものを与えているのでしょう。そういったものを我々人間は食べている。銀座の野良猫や野良犬は人間と同じものを食べているから成人病、肥満(笑)

添加物は1500~2000あると言われている。人工的なものでも三百数十種類。1年間に60万t消費されているから、日本人は1人あたり平均5kgの添加物をたべている。国は塩の摂取量を1日10g以下にしろと言っているけど、添加物もそういった規制をつくればいいのに(笑)
1972年の塩専売法で塩田は全て廃止させられ塩は国家管理になった。全国で作っていた塩田を工業地帯に変えてしまった。海外から買ったほうが安いから。99%NaClの化学合成物質を食わされてきた。我が家は本当のちゃんとした塩をとれば、体はきちんと外に出すから大丈夫と言っている。

アトピーやアレルギーは添加物が原因、成人病はタンパク質や脂肪の摂り過ぎが原因。



生きることは学ぶこと、学ぶことはそだつことである
本物を探せ、学ぶということは本物かどうかを見極められるようになることだ
これが私の中心にど~んとある。