■病気を転機に食の仕事へ
千葉県で一番小さな町でもあり、最近にわかに「発酵の里」「長寿の里」として注目を浴びている神崎町(こうざきまち)。その神崎町で2009年9月にオープンし、その濃厚な甘みと食感の豆腐がお客様の心をつかんで離さず、今や神崎町に欠かせない存在になっているのが「月のとうふ」です。
「月のとうふ」の店主の周浦(しゅううら)さんは、現在43歳。豆腐屋を目指すことを決めたのは、実は5年前のことで、それまでは普通の会社員でした。
当時の食事はほぼ外食。牛丼チェーンに通い、コンビニ弁当を食べる「一般的なサラリーマンの食生活」を送っていました。しかし、そんな食生活を10年以上送っていたことがたたり、体が悲鳴を上げました。病気になったのです。
それから2年間、入退院を繰り返すつらい日々が続きました。しかし一方で、この病気をきかっけに自分の体のこと、食事の事を考え始めるようになりました。
体に良いと思える食材を買い、自炊を中心とした食生活に変えたところ、体調が回復していくのが実感でき、また自分で食べ物を作ることが本当に楽しいことだということに気づいていきました。
また、農家さんや様々なオーガニックイベントに積極的に足を運び、様々な人と出会い、語り合い、食について学ぶ日々を過ごしました。
こういった時間を過ごす中で「食べ物が大切だ」ということを強く感じるようになり、同時に「今の仕事を中心とした生活は、やっぱりあわない」ということを明確に思うようになってきたそうです。
「それまでも、当時やっていた仕事があわないというのは何となく思っていたのですが、明確に思うようになってきたんですね。やりたいことが見えてきたんです」
その見えてきた「やりたいこと」が「食に関わる仕事」だったのです。
■無くなっていっているものだからこそ
食に関わる仕事をしよう、と心に決めた周浦さん。その1つとして農家も考えたそうですが、素材そのもので勝負をする農家に今から自分がなれるかというと、どうしても現実味が沸かなかったそうです。逆に、農産物の加工をして付加価値をつけて販売する商売なら出来ると思い、パン屋やそば屋も考えたそうです。しかし、パン屋は競争が激しく、そば屋は夜もお店を開かなくてならないためお日様と一緒に生活できないため候補から外しました。そして最後に選んだのが豆腐屋でした。加工することで付加価値がつけられる商売であり、国産大豆がどんどん減少し町の豆腐屋も物凄い勢いで減っていることも、あえて選ぶ理由になったそうです。
「これからの社会、小さなお店、スモールビジネスが増えていったら面白い!町が活気づくし、大豆や豆腐屋といった無くなっていくものをやる意義はある!と思ったんです」
そして、18年の会社員生活を終え、豆腐屋として独立することを決意しました。
そんな豆腐屋になると決めた周浦さんは、国産大豆とにがりにこだわり、その味や店主の姿勢にたくさんのファンがいる池袋の大桃豆腐さんにお願いをして、2年間修行をさせて頂き豆腐製造の技術を習得しました。
そして2年間の修行が終わった後、独立開業する場所探し始めました、そして候補として上がったのが神崎町でした。
そこで周浦さんは、修行が終わった3年目も週1回、大桃豆腐さんのお店がお休みの日に、お店を使わせて頂き豆腐を作り、神崎町にある喫茶店「ゆうゆう」、「神山酒店」さんに自分で作った豆腐を置いて販売をしてもらいました。この委託販売は、テストマーケティングにもなり、その結果が大変好評だったこと、また物件が見つかったということもあり、その年の9月に神崎町でお店をオープンすることにしました。
■思いと大豆が生み出す味
委託販売の時はもちろんでしたが、お店をオープンしてからは、どんどんお客様が増えていき、周浦さんの豆腐は、毎日午後15時には売り切れるお店になっていきました。それほど豆腐の味が美味しく、スタッフのお人柄などがお客様の心をつかんだのです。
そこで、どうして「月のとうふ」の豆腐は、これほど美味しいのかを聞いて見ました。そこで返ってきた答えは「大豆へのこだわり」でした。
周浦さんが神崎の地を選んだ理由の1つは、「神崎の地大豆の味」にあったといいます。神崎の地大豆は品種改良がされていない「在来種」で、香りと甘みが強いといいます。「月のとうふ」ではこの神崎の地大豆を半分使い、残りの半分はタマホマレ、ミヤギシロメなどを使っています。これらの大豆を使うと、一般的に使われているフクユタカという大豆よりも味が濃く、舌に絡みつくような感じの豆腐が出来るそうです。また、将来的には神崎の地大豆だけで豆腐を作ろうと考えているそうです。
「豆腐の世界は何十年も修行するという世界ではないんです。それより大豆なんです。2年修行しただけの自分が、お店を開いてそこそこやっていけているのは、それほど原材料の大豆が味に占める割合が高いということなんです」
また、にがりは伊豆大島のにがりと、奥能登のにがりを使っています。味も固まりも他のものとは違うそうです。
そんなこだわりの大豆を使いながら美味しい豆腐を作っている周浦さんは、実は、昔は豆腐は好きじゃなかったそうです。
「昔、僕達が食べていた豆腐って美味しくなかったですよね?」
周浦さんにそう言われると、確かに自分が子供の頃の豆腐は美味しくなかったことを思い出しました。
スーパーの出現と共に大量消費の時代にした時、他の食品製造業と同様に、豆腐屋さんにも取引の話が舞い込みました。当時は作れば作れるほど売れたそうです。一方で、スーパーに求められる安い値段で卸すために、豆乳の濃度を極力薄めて大豆の原材料費を落とし、グルコノデルタラクトンという凝固剤で固めた、何か酸っぱい感じの、舌の上でねちゃねちゃする豆腐を大量に作っていきました。その結果が「豆腐嫌い」を生んでいると言われれば、そうかもしれません。またこのことは、豆腐屋さんに限ったことではなく、あらゆる食品製造業に当てはまることなのでしょう。
周浦さんは言います。
「美味しい豆腐を豆腐屋さんが作り続けていたら、これほど豆腐業界は減っていかなかったかもしれませんね」
月のとうふさんの豆腐の味は、選び抜いた「地場大豆」を使っているのはもちろん、「食は命」ということを身を持って体験し、「安心できる食べ物」、そして「美味しい食べ物」を作りたいという周浦さんの「純粋な想い」が交わって生まれるのでしょうね。
地元はもちろん、車で1時間ぐらいかけて買いに来る常連さんもいる「月のとうふ」。顔の見える信頼が置ける店主が地大豆にこだわって作った豆腐は、夕方を待たずしていつも売り切れてしまいます。美味しいものを食べると人は幸せになれるといいますが、豆腐1丁で幸せになれるということ、「月のとうふ」で是非味わってくださいね。
★月のとうふのHPは→コチラから