「高柳さんのお話し会」の2回目を開催しました
このおはなし会は「食と命の教室」の出張講座として設定したものです。
(食と命の教室については→こちら)
先月の15日に1回目を開催したのですが(→コチラ)とっても素晴らしい内容となりました
全員が「次回も高柳さんのお話を聞きたい」というアンケート結果になったことから、今回2度目を開催しました。
ただ、「前回参加したかったけど都合がつかなかったので、ぜひまたやってほしい」というご要望を頂いたママ友メンバーで人数が埋まったので、今回は公には案内を広げずに開催しました。
もともと意識が高いメンバーが参加したので、大変良いご縁になったようです
食と命の教室、また前回のお話し会のところなどで内容は色々書いているので割愛しますが、今年に入って高柳さんのお話を横に座って聞くのはこれで4回目となります。
お話し頂く内容はどれもみなさんに聞かせたい内容で、しかもそのお話の仕方がお上手で、わかりやすく、茶目っ気もあって本当にぐいぐい引き込まれます。
そんな高柳さんの横にいて、みんなが惹きつけられているのを見ながら、出てきた言葉が「まともな大人」「まっとうな大人」という言葉でした。
とてもまっとうに人生を歩まれているからこそ、とても魅力的なんだ、とストンと腑に落ちたのです。
逆にいかに魅力的な大人が少ないか?ということにも気づきました。
いや、私も大人で、魅力的ではないので自分のことを棚に上げさせていただきますが
しっかり自分の考えをもち、本を読み、勉強し、本質は何か?を考え、自分の解釈をもち、自分の信じたまっとうな道を歩く。。。
要するにそういう大人が「まっとうな大人」なのではないか?
そしてそういった人が少ないんだな~、と思ったのです。
私は「お金より、経済よりもっと大切なこと、大変な問題があるじゃないか」という発想で生きていこうと決めたので、お金については厳しいのですが、人生の充実度は高いですし、子供達に対して誇れる生き方を歩みだしたという実感はあります
だから、まっとうな道へ2歩、3歩歩みだしたところでしょうか?
しかし、「自分の道をきめ自分の人生をあゆみ、地域や社会のお役に立っていく」というのは、数十年前は「当たり前のこと」「まっとうなこと」だったんですよね。
高柳さんの若かりし頃は、「一人前になろう」ということが当たり前の概念で、「手に職をもって生計を立てていけるようになろう」ということが大前提でした。
ところが戦後の高度成長経済の中で「お金」のために働く「会社員」が主流となり、格好良いのは会社員、自営業や農業は格好悪いというイメージが浸透しました。
高度経済成長前の日本は、道が壊れたら村のみんなで直し、橋が壊れたらみんなで直し、田んぼもみんなで競争しながら助け合いながらやり、地域の神社やお寺さんで神楽をやり、みんなで一緒に生きていました。
そうでないと生きていけなかった、という時代背景もありますが、だからこそ「地域のため」「村のため」というのが大前提の当たり前の世の中でした。
だから家のことより外見や周りことを気にすることも多かったと思いますが、それはそれで個より全体の品格をあげていたのだと思います。
だから「お手本」となる大人がたっくさん周りにいたと思うのです。
一生懸命生きている、という姿があちこちであったはずです。
それが、会社を中心とした経済システムに分断され、お父さんは会社と家の往復、お母さんは子育てと趣味中心で、それに耐えれない人はすぐに会社復帰。子供は学校と塾と家の3つしか居場所が無い。
その結果、今の団塊の世代から私までの世代まで、ほとんどの人が「自分のため」にお金を使い、時間を使い、また「家族や孫などのため」にお金や時間を使います。
もちろん私も「まずは自分が食っていくこと」が優先順位が高いのですが、その先に、その延長線上に「生かして頂いていることに感謝し、この与えられた命を地域や社会のお役に立てたい」という思いを持っていて、それを実践している人がいかに少ないことか。
あるいは、自分で考えて、自分の人生を主体的にきっちり歩んでいる人、というのが今でいう「まっとうな大人」とすれば、そういった人は本当に少ないということに今更ながら気づきました。
「与えられたものから選択する人生」。そういった教育でずっと育ってきたからこそ「生きている実感」が無く、「自分探し」を以前の私も含め、多くの人がしているわけです。
高柳さんの言う「誰と生きるか」「どこで生きるか」「どんな仕事で生きるか」といった3つを考えるのが当たり前だった時代が、今は、会社や学校などが中心となり、転勤前提で地域愛や故郷愛は育たず根なし草となり、会社では会社の都合で一緒に時間を過ごす上司が変わり、仕事の内容も会社の都合で変わる。
だからどうしても、「自分はこうして生きたい」という思いを中心に生きている大人が少ない気がします。(逆説的ですが、まっとうな大人は地域よりむしろ会社の責任を背負って生きている社長さんの中が一番多い時代なのかもしれません)
高柳さんは、中学校のときに「教育は間違っている」と思ったらしいです。
でも高柳さんいわく、高柳さんに限らず、全共闘時代の方々は、方向性はさておき思想や考えを遠慮せずにバンバン交わし議論していたと言います。
だから「自分の考え」がしっかりあり、自分だけでなく「社会や地域や若者」も見据えているんでしょうね。
話が長くなりましたが、社会の宝である子供は100%悪くなく、子供の悪いのは親が悪い。そして親が実際に本当に悪いのではなく、そういった親に育てたその親が悪く、そういった循環を起こしている社会が悪い。だから社会を変えないと親も変わらないし、子供の未来も似たようなものになってしまう。
どこでこの流れを変えていくか?
それは、私たち大人がきちんと勉強して、自分で正しいという人生を歩むことでしょう。まっとうな大人の数が増えていくことが社会を変えていく最大のポイントだと思います。
例えば、小学1年生で生理が来たり、高校生の40%成人病で、日本人の2人1人がガンで死んでいる、そんな異常事態をほうっておくのではなく「これはおかしい!なんとかしないと!」と思って勉強すること。
例えば、学校の教育って本当に子供たちにとって必要なの?「学校の勉強って本当に必要なの?」と聞かれたときに、本心はそう思っていないのに「必要だ」と答えるんではなく、おかしいところ、良いところをきちんと意見できるよう勉強し、考えて自分なりの答えを持つこと。
食べもの、経済、会社、政治、色々勉強し、「うん、その通りだね!」と子供たちや大人達が思える考えや意見をもち、知識をひけらかすのではなく自分の「実践」につなげている大人になること。
高柳さんのお話を聞いていて、そんな「まっとうな大人」に自分がなること、そしてそういった仲間を増やしていくことに、更に意欲が湧きました。
ここ数ヶ月、ろくに本が読めず日常業務でていっぱいでしたが、時間を作って、勉強し、セカンドスクール構想、煮詰めていきたいと思います。
コメントをお書きください