9月の「食と命の教室」

土曜日は「食と命の教室」
7,8月は毎年暑いので参加者が少人数となりますが、今月はまたほぼ満席と、賑やかに開催しました

実は9月というのは端境期といって、夏野菜が終わり秋冬野菜がまだ出揃わない間の時期で、収穫物があまり無い時期なのです。

また、秋冬野菜というのは大体9月頭までに種を蒔き終えるので、そういった作業も無く、稲刈り後のお米の袋詰めまでの工程や機械の見学、栗拾い、柿もぎ、残った夏野菜の収獲、プチ稲刈りと、色々なことを沢山やりました。


まずは今月も新しく参加された方が2人いたので、自己紹介。

病気になって海外のおばあちゃんのところで療養していた方、自営業で農ある生活に関心を持つ方で、また昨年参加のメンバーも含め、まあ、誰1人とって理由なくここに来る人はいないな~と思います。

まずは高柳さんのお話。

今回、高柳さんのお話はキレキレで、「昔のお米作り」がテーマだったのですが、もっと大きな地球の歴史の中で穀物が手に入るまで、穀物が入ってから人間はどう生きてきたか、そして農家が戦後は作れ作れと言われ続けたのが70年代以降、今度は作るな、と言われ、最近では耕作放棄地に税金をかけるなど、政策に振り回されてきた農家の立場で、食べ物は命を守る業であること、その理解がドイツやフランスと日本ではまったく違うことなど、沢山のお話をして頂きました。

さて、その後、まずはお米がどう袋詰めされるかの工程を機械見学を交えながらの見学です。

お米は今は「コンバイン」という、刈り取り&脱穀を一気にやってしまうスーパーマシーンでやるのですが、新しいのは1000万を超える代物です。

それで脱穀、つまり籾の状態にしてきたものを持ってきて、まずは乾燥させます。
背丈よりもずっと高い機械が乾燥機で、ここに一杯に詰めて乾燥させます。
田んぼでは20%ぐらいの水分のお米を15%以下に下げることで、貯蔵にあったものにします。
乾燥機が空かないと、次の稲刈りをしてもダメになってしまうので、乾燥させたらまた次の稲刈り、と順番に作業をします。


乾燥した籾は、今度は籾すり機で籾をとり玄米の状態にします。
また、ちょっとした小石なども入っていることがあるので、石抜きを通し、また網の目を通して小さいゴミや実が入っていない米粒はふるいにかけます。



「親父が子供の頃は、機械なんてなかったから、臼と杵を使って籾すりをするのが学校から帰ってきたらやらねばいけない仕事だったそうだよ。嫌で嫌で仕方なかったって言っていたけど、そうしないとご飯が食べれないから仕方なかったんだな」

稲刈りや乾燥も昔は手作業。機械があることで手間は省けましたが、その分、投資も高くなり、どっちが良いとは言えないんですけどね。

そして、袋詰めする際に、白米なら精米し、玄米ならそのままで、色彩選別機を通します。
お米の色が変なもの、つまり籾が残っていたり、虫食いで黒くなっていたり、実が入っていない緑っぽいのだったりを、1粒1粒空気鉄砲で弾いてしまうというのだから、日本の技術は凄いですよね。

これも高柳さんは「昔は食べる人が米を研ぐときに自分で1粒1粒とっていたんだよ。だけど、それじゃ困る、というからこういった機械を使っているんだ。まあ100%じゃないけど、弾いてくれるから、凄いよね」



そんなお米の機械が入っている屋根下には、稲ワラが吊るしてありました。
丈が普通のものより長いな~、と思っていたら、「これは、締め縄用の米だよ。娘が作っているんだ。食ったらまずいぞ、食えたもんじゃない」とのこと。

締め縄用にあった品種を使っているんですね~


さて、一通り見学が終わったら、ちょうどお昼ご飯
いつも通り、美味しいご飯をお母さんと娘さんが作ってくれました
料理は相変らず全部美味しいのですが、今回、なんとお孫さんがおにぎりを全部(40個ぐらい)を握ってくれたそうです
親子3代が一緒に台所に立つなんて素敵ですね
かつ、中3のお孫さん、上手に握っていましたよ~
今時、きちんとお握り出来る女の子なんていないですから、お嫁さんにもらいたいぐらいです


さて、午後は特にコレという作業が無いので、みんなで「余りもの」を頂きに畑に出ました。

まずは、空心菜やシソ、オクラ、モロヘイヤといった夏野菜の残り物を好きなだけ収獲
モロヘイヤはハウスの中だったのですが、ちょうど日が照ってきてちょっと暑かったです


また、高柳さんは柿が大好きで、あちこちで柿が美味しそうに熟れていました
柿もぎさせて頂きました



また、栗の木もあり、栗が落ちていたので、栗拾い。秋ですね~



一通り収獲で汗を流し、心もお土産も満たされた後、教室に戻って、今日の振り返りはお話の時間。

季節遅れですが、冷蔵庫でとっていったスイカを食べながら、みんなで感想を言い合ったり、と時間を過ごしました。


初めての方は「初めてなのにこんなに仲良くなれて、自分が素直に何でもしゃべれるなんてびっくりしました」と驚いていました。

この教室の雰囲気や良い所が、そうなんですね。

普通の生活で、食べ物のこと、世の中の事、生き方の事、病気の事、人生の葛藤、地球環境のために何をしたらよいか、といったことを素直に普通にしゃべれる場なんて無いですものね。

それを、普通にしゃべってしまえる場。

私が「寺子屋」を目指している所以というか、そういった場に出来ているのが、この教室の良い所なんです


また、生殖医療をされている方は「高柳さんの『俺らは今の人達のように何がやりたいかという考えで生きてこなかった。それより何をすべきなのかという役割を考えて生きてきた』という話に覚悟が決まりました」と決意を新たにしていました。

参加者の中には「何からすればいいかまだ見えないですが、見つけていきたいと思います」という事や、「自分が何をしたいかまだわからないのですが」という発言があります。

私も若い頃はそうでしたが、いわゆる自分探しみたいなものですね。

それに対して、高柳さんが「やりたいことをやる、というのは昔の人達にはなかった。その前に、何をすべきか、ということがあって、すべきことの中で、出来る範囲で好きなことをやっていく、という順序だった」というもの。

これは良くわかります。

私が農村に足を踏み入れ、大きな気づきを得たのが「生きることは生活すること」ということ。

それが今の私に続いています。

自分で出来ることをきちんとすること。

食べ物を出来るだけ作り、収穫し、料理をし、子どもと語り、掃除をし、洗濯をし、といった1つ1つをきちんとやっていけば、それは生き方そのものです。

東城百合子さんの言葉で「性根がきちんと定まっていない人は、あっちへフラフラ、こっちへフラフラする」と言います。

また、「何か突発的にやることはそれでおしまい。でも、生活は積み上がる」と言います。

全くその通りだと思います。

そして、全ての中心は家であり、家事をきちんとできる母がいる家は強い。

1つ1つの生活をきちんとしていると、それが神事につながる、というのは、日本の神道の伝統・思想ですが、それが皇室の神事だけでなく、一般家庭でもつきつめていけば、神事になる、それが子供にも伝わっていく、というのは、事実だと思います。

昔は良くも悪くも縛りがあって、その縛りの中で生きていくからこそ、性根は定まっている人が多かった。

私も「成田で生き、成田で死ぬ」と決めてから、性根が定まって生きていけています。

話は元に戻しますが、、教室の後に高柳さんと10時前まで、3時間以上の久々の1対1の時間を過ごしました。

最近の高柳さんは、とても疲れていて、「俺は何をしてきたんだろう」と落ち込むことが多いと言います。
「余命」も今まで以上に気にするようになって、今までの生き方の反省と「最後に遺すべきこと」を意識するようになっている感じです。

話している内容が数年前とも変わってきています。「食と命の教室」と言うけど、「人はどう生きるべきか」というメッセージの教室に変わってきているな~、と。

私の目標で「本を出す」と言うのがあります。本書きとしてゆくゆくは生きていこうと決めています。

高柳さんも、昔は「本なんていらない」と言っていましたが、今回「高柳さんの本を出すことは、意味がある」と伝えました。

寺田本家の先代も、「発酵動」という本を出したことで、死後も多くの人を導いています。

本にはそういう「伝播していく」という力があります、と。

どうなるかわかりませんが、冬に「有機の里」という団体を立ち上げなおしたい、ともおっしゃっています。

私も力添え出来るようにありたいですね。


あ、あと、次回の「食と命の教室」は、糀作りですよ