今月の「食と命の教室」は糀作り、小糸在来の枝豆など

土曜日は今月の「食と命の教室」でした。
10月は17日より前に開催されると「糀作り」をします。
なんで17日か?

それは10月17日は「神嘗祭(かんなめさい)」の日で、この日に神様に甘酒をお供えする日だからです。


10月17日の神嘗祭に続き、11月23日が今は勤労感謝の日となっていますが、戦前までは「新嘗祭(にいなめさい)」の日でした。

今も宮中神事としてやっていますが、新穀を神様にお供えし今年の五穀豊穣を感謝し、そしてこの日からお下がりをもらって初めて新米が食べれる日が新嘗祭。

日本の神事で最も重要な行事の1つ。

今も天皇陛下は11月23日までご飯を食べません。

うちの奥様のお義母さんも、11月23日までは新米を食べないんです。私は既に食べていますが

で、11月23日は新嘗祭ですが、その前に、まずは、五穀豊穣を感謝するお祭りが10月17日の神嘗祭なのです。

まあ、新嘗祭と神嘗祭は厳密には分けるのは難しくて、伊勢神宮と皇居の神事の両方とも歴史があって今の形になっているのですが、まずは神嘗祭で今年の五穀豊穣を感謝し、新嘗祭ではさらにお供物を備えてかみさまに食べて頂き、人間も食べれる、と思って下さい。

昔は今より1月ずれていましから、9月下旬の中秋の名月の時は、まだお米はとれていませんでしたので、ススキを使っていました。

10月17日もとりあえず稲刈りをした感じですが、まだ乾燥、脱穀、など終わっていない時期でもあり、まずは稲刈りを出来たことに感謝。

11月に入ってから、ようやくご飯を食べて、落ち着いて感謝する、という感じだったんでしょうね


で、高柳家は、今でも10月17日は神嘗祭をやっていて、毎年、この日に甘酒をお供えします。

仏壇、大黒様、えびす様、荒神様、氏神様、産土神様など、合計7カ所に甘酒をお供えしています。

日々の生活の中でも、神棚、仏壇、荒神様のところには朝に炊いたご飯をお供えしています。

昔はどこも甘酒を作ってお供えをしていたそうです。

以前、神崎町の酒屋さんと話した時には「昔は、この時期は糀や甘酒の注文が入ってね。かき入れ時だったんだよ」と言っていましたから、戦後ぐらいからは酒屋さんに注文をしてこの行事を各家庭でも行っていた時代があったんでしょうね。

で、高柳家は今もやっているわけで、17日に甘酒を作るために、糀を作らないといけないわけです。

「この村でも、もうこんなことをやっているのは1~2件になっちゃったけどな」と言います。


さて、教室としては、まずは鎌でご飯を炊いたところからスタートです。
この風景を見るだけで、「いいですね~」とみなさん、嬉しそう


いつもはコシヒカリですが、今年は寺田本家という酒蔵に卸している酒米の美山錦を初めて蒸してみたそうです。
みんなで味見しましたが、コシヒカリと違って、パラパラしている感じで、酒米はやはり違うな~と思いました。

さて、この蒸したてのお米をワッセワッセと運んで


むしろの上に引いた木綿の布ところに空けます。
これで7升半ぐらいだそうです。


糀作りのポイントは、米をなるべくパラパラにばらすこと。
塊が出来てしまうと、糀菌がなかなか中に入っていかないのです。
蒸したてのお米をみんなで広げたりほぐしたりしていましたが、みんな「熱っ」と手を真っ赤にしながら頑張ってくれました。


このお米に糀菌を振って混ぜ混ぜします。
よく、テレビなどでやっているのは、振りかけのようなもので薄く降るわけですが、高柳家流は、まずは蒸したお米の一部をボールにとり、そこに糀菌を入れてまぜます。
その糀菌がからまったお米を、改めて全体に振りかけ混ぜる、というやり方です。


みんなで改めて混ぜ混ぜした後、真ん中にお山になるように集めて熱を保つようにし、その上にムシロを何枚か重ねて終了です。

あとは、8時間ごとぐらいに広げては混ぜほぐし、を繰り返し、全体に糀菌が広がるのを3日かけてお手伝いして完成です。


さて、糀の仕込みが終わった後は、畑の収獲。

最近、雨続きで畑になかなか入れないので、ちょっとした仕事になってしまいますが、ちょうど小糸在来の枝豆の収獲適期だったので、みんなで収獲。
小糸在来というのは、小糸地域に伝わる在来種の大豆。
12月に出来る大豆を今の時期に早どりするのが本来の枝豆で、夏の枝豆に比べると圧倒的に美味しいのです。
さらに、この小糸在来は小粒な分、味がぎゅっと詰まっていて、美味しいんですよ~

また、「枝豆」と言うことで、葉っぱをとって枝と豆にするやり方をお伝えしましたが、世の中には「枝」にどうやって「豆」がついているか、知らない人も多いのでしょうね~。


この採り立てを10分も経たず茹でて食べました。そりゃ~、間違いない味でしたよ


お昼ご飯は「モチでも食べよう」という高柳さんの提案で、高柳家が2~3年前にかった機械でモチ作り。
まん丸で可愛いモチですね~


黄な粉は砂糖の分量を変えて3種類、また、あんこ、雑煮、その他、いつもの定番のおかずたっぷりで、食べきれないほどでした


お腹いっぱい食べた後は、散歩がてらに柿もぎ。
先日の台風24号で破壊されたハウスの跡地も見て「凄かったんですね。。。」とみんな、びっくりしていました。

そして、いつものお話タイム。

お昼に食べた黄な粉は、大豆を炒って、それを粉末にしてふるいにかけたお手製なのですが、そのふるいにかけた際に残った皮など目の粗いものを集めて、お母さんが焼き菓子を作ってくれました

超美味しかった

昔の日本人は1年の季節の行事に沿って生きてきた、ということで、お正月、節分などから始まり、色々な話に。

例えば、この地域で300年続いている「伊能歌舞伎」というのは、春に行う「おあそび」の1つだそうです。

「おあそび」というのは、笛や神楽や歌舞伎やらいろいろを総称して言うらしいのですが、春に山から降りて来た田の神様に、五穀豊穣を祈る神事で、これが終わると、「さあ、田植えだ」とみんな一声に田植えをするわけです。

そして夏は祇園、お盆、秋に入って神嘗祭、七五三、新嘗祭、と続くわけです。

七五三は村長がその村の7歳になった子を大須賀神社に連れてきて、近隣の村の子供が一斉にお祝いされたそうです。
「今は1人だけどな。昔はその家の跡取りが立派に育ったというだけでなく、村の後継者も立派に育った、という意味もあったから、村のお祝いでもあったんだ。また家によってはお金がないところもあったりするから、それを村がやってあげよう、なんていう意味もあったな」

そんな話から、「自然と人類」といったような大きな話にもつながってきたり、参加者も「何かをしなくてはと思うけど、何からするか」といった話が出るなど、今年も残りわずかとなり、この教室も佳境を迎えている感じがします。

次回は最終回で「稲ワラ納豆作り」

なんだかんだいって、今年もあっと言う間だったな~、という思いが沸いてきた教室でした。