食と命の教室 箸作り、ブータン話などなど

9月の「食と命の教室」は、まずはお箸作りからスタートしました。

実は、昨日、多摩美術大学とかの学生さんが来たので、お箸作りからやろうか、ということになり、その余った部材を使わせて私達も作ることにしました。

竹を鉈で割って、ちょうどお箸ぐらいの太さにします。


これを使って、みんなで、小刀で削りながら黙々とお箸作り。
今回は、参加者最年少の小学4年生の女の子も参加です


あと、お手伝いさんとして、無着成恭さんのお孫さんも近くのお寺から来てくれました。



一番凄かったのは、やっぱり高柳さん
なんと、小刀で竹とんぼを作ってしまったのです

何が凄いかって、羽の部分はもちろんのこと、軸の先っちょも細かく小型で削り上げ、それを差し込む穴も錐を使わずに小刀で開けてしまうのですから凄いですよね~。

やっぱり昔からやっている人は、凄い格好良いな~。


私が子供の頃は、小学校で小刀ではなく四角いカッターで鉛筆削りをしましたが、今の小学校では全くやらないみたいです。
親御さんから危険だから、という声があったからなんでしょうが、こういったものを小さいうちに当たり前に使っているからこそ、刃物の取り扱いも覚えますし、中には物作りの技を極めたい、という思いを持つ子も出てくると思うのですが、いかがなものなんでしょうかね?

さて、みんなでお箸を作った後は、大根の間引きです。
ちょうど今の時期は、9月頭に播いた大根の間引きをする時期なんです。


2本あったら、1本を残して他を抜くのが間引きです。
2本一緒に生えていたところを1本にするので、ちょっと苗がぐらぐらしてしまいます。
なので、子育てと同じで土寄せをして、風に負けないようにしてあげます。
小学4年生の女の子も初体験です。


さて、畑仕事が終わったら、待望のお昼ご飯です

と思ったら、帰り道、山栗が落ちていたので、拾いました。
山栗は小さいけど、普通の栗より美味しいんですよ~


さて、いつもの通り、豪華で美味しいお昼ご飯です。いっただきま~す


山栗も茹で栗で頂きました



さて、お食事後はひまわりの篩いがけ&唐箕です。

高柳さんの家は、油を自給しています。

菜種油、ひまわり油、ゴマ油を中心に、少し落花生油、糠油、椿油なんてのも作っています。


こちらはゴマ。もうすっかり乾燥して落ち始めています。もう少しで脱穀ですね。
煎って食べるだけでなく、ゴマ油にもします。



さて、まずはひまわりの種を篩いで大きなゴミと選別します。
大きなゴミは網に残り、網の隙間からひまわりの種が落ちていきます。


そして大きなゴミを取り除いた後は、唐箕(とうみ)で小さなゴミを選別します。

こちらが唐箕。
上から種を入れ、手で風車を回すことで軽いものは風の力で左から飛び出て、種など重いものは下に落ちるという仕組みです。


ゴミはここから飛び出る、ということですね。


これは大正のもので、95年前から使っているということですから、凄いですよね~。

今、電動の唐箕もありますが、原理は木製のものと全く一緒ですから、100年間、仕組みが変わっていないわけです。
農作業をやっていると、唐箕を考えた人は天才だな~と思うわけです


高柳さんが扱い方をみんなに1つ1つ指導します。


回してみると。。。


お~、ひまわりの種が落ちてきました



あとは、こうやって薄く広げて、満遍なく乾燥させます。
乾燥したものを圧搾したら油が出てくるんですよ。



さてさて、1仕事終えた後、本日のメインイベントです
今回は、参加者の1人のさっちゃんが、先月、幸せの国ブータンに旅行に行ってきたので、その旅行体験談のお話をしてもらいました

8月下旬に、ブータン写真家の方と一緒に行くツアーで、みんなで1週間ぐらい行ってきたそうです。

資料も作ってきてくれて、1つ1つ、ガイドさんや現地の方から聞いたお話などを報告してくれました。

プロジェクターでスライドをスクリーンに映し出しながらのお話でしたが、生の写真やお話を聞けて楽しかったです。

私もこの日のために、ブータンの本を2つ読みました。

そこから知ったことや思ったことで、私なりのポイントを書きますと、まず、ブータンはチベット仏教の国で、輪廻転生を国民が信じています。例えば、トイレでうんちをしたら、その中に金と経文があったら、経文を拾いなさい、という教育を子供が小さい内から親がします。

将来は虫に生まれ変わるかもしれないから、ハエなどいても殺したりしません。

また、昔の日本と同じで、子供はご近所さんの家に平気であがって、ご飯を食べたりするのが普通です。

人のために良くすることは、自分の功徳を積むことなので、「あなたが幸せなら、私も幸せです」という考え方の人が多いです。

夜這いの習慣も田舎部ではまだ残っています。都市部では携帯などが普及したり、エイズが広がったこともあり、最近は無くなっているそうです。

1日を3つに分けて、8時間が家族のため、8時間が仕事、8時間が睡眠のため、これを崩すことは良くないと考えていますので、夜ご飯は家に帰って家族と共にご飯を食べるのが当たり前です。

都市部の若い子も、家族で夕ご飯を食べてから、夜遊びに出かける、みたいな感じです。

家族の時間が一番大切ですから、家族の時間を削ってまでする残業をすることはありません。

現在の国王は5代目で、逆に言えば100年ちょっと前に国として成立しました。現代の国王の初代が、周りの諸侯をまとめて作った国です。

議会制民主主義に移行した上で、有名な「国民幸福度」を追求することを最重要として政府があり、その委員を中心に、ゆるやかに経済発展をしながらも、問題を1つ1つどういくか考えながら国政を行っています。

テレビによって家族のお話する時間が減ってきた、とか、月収と同じくらいの値段の携帯電話を借金してでも買おうとする若者が増えてきた、とか色々問題がありますが、それを有識者や大人が一生懸命考えながら国作りを行っています。

経済は、急峻な山国であるため、水力発電をしており、これをインドに売電して得る収入、税金がほとんどで、後は海外からの援助で成り立っています。

国をあげて「教育」をしていますので、国語は母国語ですが、他の科目は全て英語です。
みな、ホワイトカラー(役人か観光業が中心)につきたいと思っていて、厳しい受験を乗り越えた一部がそこに辿りつける「超競争社会」です。
いわゆるブルーカラーの仕事は、インドなどから来る出稼ぎの人達が中心です。

ブータンでは医療は無料です。国民だけでなく、旅行者、出稼ぎの人、全員無料です。
伝統医療と西洋医療の2つがあって、一長一短で両方選択できます。


こんな国ですが、私が一番感心したのは「親の世話は子供が見る」というのが当たり前の通念になっていることです。

昔の日本もそうですし、かつての社会はどの国でもそうでしたが、親族で1人立身出世した人がいれば、親戚みんなの面倒を見る、というのがブータンでは当たり前です。

「年金やお金は無くとも大丈夫、だって子供が面倒を見てくれるから」というのが、ブータンの当たり前の考えです。

もし、親が不慮の事故でなくなってしまったら、親戚がその子供を自分の子供と同じように面倒みます。

家族とは親族も含む概念で、誰かが病気になったら、1ヶ月会社を休むのは全く問題がありません。

それがチベット仏教が普及している「人のためになることをする」ということが当たり前の社会だからです。

親は、自分の持っている者をすべてかけて子供の教育に力を注ぎます。

子供は、それを受けて、大人になったら親の面倒を見ます。

お金に頼るのではなく、縦のつながりで、あるいは親族などの横のつながりで、あるいは地域のつながりで、みんなが支えあって生きている。

そのベースは、昔の集落社会の基本でもありますが、そこに仏教も入ってきているので、「現世で功徳を積んで、次も人間に生まれたい。あるいは解脱したい」という考えがありますので、「人の幸せを考える」ことがしっかり根付いているんですね。

そして、それを国家が当然のこととして推進しています。


そういった社会で、更に特筆することは、「経済発展」を受け入れているということです。


「懐かしい未来」で有名なラダックもそうですが、急速な経済発展で、文化を観光業にしてしまった国も多い中、果たしてブータンが今後、どのような形で発展をしていくのか、注目に値しますね。


・・・とブータン話が長くなってしまいましたが、そんな感じの「食と命の教室」でした


10月は「味噌作り」で、11月は「稲ワラ納豆作り」を予定しています。

「食と命の教室」については→こちらから


ちなみに、この後、寺田本家で「農コン」がありました

高柳さんが企画者で、寺田さんに声がけをしての合同開催。

当初は女性が集まり、男性が少なかったのですが、最終的には総勢50名ほどの大農コンとなりました

傍から見ていて、何だか胸がキュンキュンしちゃいました

1組でもカップルが出来たらいいですね~。