食と命の教室:ローンなどなかった時代の話

6月の「食と命の教室」。いろいろあったけど、一番面白かったのは「ローンなど無かった昔の家の建て方」でした

まあ、その話は最後にして、まずは、6月はちょうど草がボーボーに生えている時期なので、午前は1時間ちょっと、がっつりと田んぼの草取りをしました

髙柳さんは無農薬で田んぼをしているので、草対策としては田んぼ用の紙マルチを張りながら田植えをします。

しかし、オモダカという狐のような草は球根植物なので紙をつきやぶってしまって出てくるそうです。

その中で、1番酷いところをみんなでやりました。

写真を見ると、凄いでしょ?

稲の間に細長い狐のような、矢印のような草は全部雑草なんです

ちなみに例年は、素足で田んぼに入ると「キャッキャ」いってみんな最初はテンションが高くなるのですが、今年はなんと全員が「田んぼ経験者」。つまり、田んぼに入るのが楽しみ、という状態では無かったんですね

つまり、最初から「お~、こんなに草をとるのか、、、」という「労働意識」で入ったのでした

まあ、中には「無農薬で田んぼをやるのがこんなに大変とは知りませんでした。無農薬のお米、私なら値段を5倍にします」とか「気持ち良くてすっきりしました。きっと電磁波がたまっていたんでしょうね」という方々もいたので、トータルでは「大変=無農薬のお米の価値は凄い」という認識で、やって良かったです

まあ、みんなヘロヘロになりましたが、とにかく「美味しいご飯の秘訣はお腹を空かすこと!」という髙柳さんのかけ声の下、みんな頑張りました

田んぼが終わり、お昼の前にミニトマトをつまみ食い。

毎年、「うわっ、こんなになるんですね。うちのとは大違いです」とみなさんびっくりします。

髙柳さんも「まあアマチュアとの差だな(笑)」と言いますが、大きく違うんですよね。まさに鈴なり

さて、お昼はいつもの通りお肉はありませんが、絶品

特にこの時期、ナス味噌がたまらなく美味しいのですよ

さて、午後は畑作業。

先月、刈り取りの一部をやった菜種は脱穀が終わり、脱穀後の菜種の枯れ木が山積みでした。

それを髙柳さんが風を観ながら風下から火をつけていきました。

まあ、燃え上がること、凄いですね~。

でも、きちんと風を読んでいるので問題ありません。

そして、その後、みんなでお土産用のキタアカリの収穫

そして、午後のメインの菜種の唐箕がけでした。

まず、ハウスにいくと小麦がこのように広がっていました。

小麦は今は乾燥中。今年はなかなかの豊作のようです。

その横で、唐箕がけです。

もう何回も書いていますが、いわゆる風選を行う道具ですね。今は電動式ですが、髙柳家はいまも手回しです。

これをみんなでやって、こんなに菜種のゴミ取りができました

髙柳さんの話では「本当は3回やるんだけどな」という事ですが、今回はまずは1回、そして全体の1/3だけ「体験」ということでやってみました。初めての方が多く、みんな「調節が難しいですね~」と勉強になったようです。


そして夕方のお話は「日本の伝統家屋」のお話です。

髙柳さんが家を建て替えた時のエピソードは相変わらず面白いのです。

今はハウスメーカーに頼んで家が建つのが当たり前ですが、昔は違ったそうです。

髙柳さんが家を建て直した時は、まず、棟梁と施主がタッグを組むんです。

構造計算や設計図もありませんしそもそも建築基準法という時代ではありませんでした。平面図、つまり間取りを施主が棟梁に渡して「こんな家がいいんだけど」と言ったら、あとは棟梁任せです。

まず、棟梁が「じゃあ、これだけの柱、壁、板などを用意してくれ」と必要量を施主に伝えます。

すると髙柳さんは施主なので、自分で自分の山の杉・檜を切り出してきます。「これは柱用だな、これは○○用だな」とマークをつけて山から運び出し、それを井桁のように組んで1年かけて乾燥させます。

その後、材木屋に持ち込んで柱や板にしてもらい、これで1年。

すると棟梁がようやく仕事開始です。

「まず、基礎を○○頃までにうってくれ」と棟梁が言うと、施主の髙柳さんがそういった職人に頼みます。髙柳家はその時はお父さんと髙柳さんで基礎をうったそうです。

そして、棟梁が柱組をやり、「そろそろ瓦屋を頼んでくれ」とか「次は建具屋と電気屋だな」といった具合に、進捗に合わせて必要な仕事を施主に伝え、それを施主が知り合いや村の仲間などに声をかけて集めてくる。まさに二人三脚なんですね。

そんなこんなで「家が建つまで6年ぐらいかかったな」と髙柳さんは言います。

 

髙柳さんが言うのは「今の人達は建てても1代で終わりでしょ?でも我々の代までは違ったんだよ。うちの家も雨漏りがしてきて建て替えの話が出た時、まずこの家がいつ頃建てたものか、というのを調べても誰もわからないんだよ。でお寺さんとかが『この建て方だと150年前ぐらいですね』と教えてくれてようやくわかる。つまり、25~30年で1代としたら5~6代は住んでいることになる。だから自分の番でも孫の孫ぐらいまでは住める家を建てよう、というのがそもそもの考えなんだよ」と。

大工の棟梁も「俺らの仕事は建てた後にどれだけその家が持つかが勝負なんだ」と言っていたそうで、今の「建てたら終わり」とはまるで思想が違ったそうです。

そんな話の中で、面白かったのが「ローンなんてなかったからな」という話。

「今の人はローンを組んで家を建てるでしょ?でも俺らの時代はそんなの無かった。蓄財というか、貯めたお金で出来る範囲で家を建てるわけ。でも、お金がそれほど無い家は、すぐに業者を手配が出来ない。例えば屋根は出来ても天井板まで出来ず、中まで10年ぐらい天井が無かった家もあったんだよ」

「もっとお金が無い家は、1部屋分だけ壁を作ってあとは柱だけ。あとは吹き抜け状態。お金が出来たら次の部屋の壁や床、といったように、お金が入る毎に家を少しずつやっていた」

凄い話ですよね~

「悠長といえばそうだけど、ローンなんて無かったからな」

でも、「身の丈に合った家作り」というのは、本当はそうなんでしょうね。

今の家作りって定年退職までローンを組むのが当たり前。で、何かあった時のために生命保険をかけて入るのが当たり前。つまり「命をかけて建てるもの」というのが家ですよね。

でも、それは孫の代まで持つか、というとそうでもなく1代、せいぜい2代で終わり。

私も不動産屋の仕事を1年したことがありますが、本当にローンが払えなくなって家を売る、つまり競売にかける、というのがあったんです。成田のはなのき台というところでも、1~2件出ていましたからね。

人生かけて借金してたまたま出会ったハウスメーカーの中で1社にお任せで家を建てて1代でつぶしちゃう今の家作りに対し、昔の家の建て方を比較すると、時代が変われば「当たり前」が全然違うんだな~と思います

まっ、これからは一部の地域を抜かしては空き家も増えてくるし、決して新築を建てて、という時代では無くなってくるんでしょうね。

まあ、そんなこんなで毎年聞いているお話でも、何か新しい発見があるもので、今回もとっても面白かったです