田んぼと収穫と大工話の「食と命の教室」

龍ケ崎での水稲勉強会の翌日は「食と命の教室」。

今年は前回もそうだったのですが、今回も榮太郎本舗という東京の和菓子メーカーさんの田んぼ体験と重なってしまったので、もう車も人もぐちゃぐちゃになるほど

一緒に草取りを午前はしたのですが、まあ、あちらさんだけでも30人も来ているので、高柳さんも「あっという間に終わっちゃうな」という反応。本当に1反の草取りなんてあっと言う間でした

とはいっても素人ですからちゃんと取れているかというと、そうでも無いんですけどね~。

高柳さんからも「機械や除草剤が村に入ったのはたかだか40~50年前。日本に米が伝来してから1000年、2000年とこういったことをずっとしてきて、みなさんの先祖が生きながらえてきて、お米が今にある。ということをわかって欲しい」と語っていました。

しかし、榮太郎さん、30人も来るのであれば、普段から草取りに来て欲しいものです。受入れる側も大変なので、日常の田んぼの手伝いも来てほしいな、と。数年前の台風で倒れた天日干しのオダがを全部ばらして掛け直すの、本当に大変だったのです。「こんな時は榮太郎はこねえのだからな、手伝って欲しいよ」と、みんなで愚痴をいっていたのが懐かしい

さて、田んぼが終わったら美味しいお昼。榮太郎さん達のお昼は高柳さんのお姉さんと娘さんがメインで、こちらの教室の食事は奥さんがメインで作ってくれました。たいそう美味しいランチで、今回は珍しく肉ジャガ、つまり肉が入りました

美味しいお昼を食べた後は、午後はまずはゴマ畑の草取り。例年、梅雨の時期に湿気と雑草に囲まれて消えて無くなっちゃう事が多いのですが、今年は半分ぐらい残っている感じで久々にゴマが収穫出来そうです

ゴマの草取りをみんなで頑張っている中で、高柳家のトウモロコシを見つけた参加者が「あれ、売ってくれないんですか?」とおねだりをしていたので、高柳さんが「みんなご褒美だ」と言って、電話でお母さんに「みんな草取りを頑張ってくれたから、トウモロコシ、茹でておいてやってくんねぇか?」と依頼してくれたのです

こういう関係、良いですよね~。「馬の顔の前に人参じゃなくて、トウモロコシだな」って。

さて、草取りが終わった後は、収穫タイム。ミニトマトやジャガイモを収穫し、みんなほくほくの笑顔

そしてトウモロコシや高柳さんのお米を使った煎餅を食べながらお茶タイム。6月は昔の日本家屋のお話です。

昔は棟梁と施主が一緒になって、家を建てていました。

例えば、棟梁が「柱が110本必要だな」と言われたら、施主が自分の山から先祖が植えた木を切ってきて、製材屋さんに運んで柱や板にしてもらい、それを乾燥させて材料を準備し、その準備が出来たらまた棟梁を呼んで、棟梁はそこに仕込みを始める、という流れです。

また、施主は木を切った後に、その山に100年後の子孫のために木を植える、という循環があったそうです。

 

棟梁の依頼の仕方も、渡すのは間取り図だけ。あとは、細かいところは棟梁が親方から引き継いできた建て方、こだわり次第、という感じで、見た目がどうなるか、細かいところは大工さん任せ。

高柳さんの家が出来上がった時、瓦屋根が少し反った感じだったので、「なんだこれは?」と聞いたら、「うん、格好よいだろ?」で終わり、という感じだったそうです

近代の構造計算やベタ基礎などは無くとも、地震が来ても倒れない、シロアリが来ない、100年持つ、というのが当たり前に実現出来る建て方。それは長年の師匠から弟子に伝承されてきた経験によるものだった、など、様々なお話で盛り上がりました。


高柳さんも「こういった教室をしているのも伝承していくためだよ。大工や建具屋さんなどの技ももう途絶えるけど、もったいないな」と言いますが。大変だけど、やっぱり日本の田んぼ、日本の大工仕事、人の関係は素晴らしかった、と思います。

この教室は具体的な技は引き継ぎませんが、昔の日本の暮らしがどういったものだったか、まだ体験でわかる最後の世代の高柳さんとご縁を多くの人がもってもらうこと。それがきっかけで何か未来に残っていけばいいな~と思います