無着先生のお話たっぷりの教室

今月の「食と命の教室」ですが、さすがに暑いので、16時頃までは屋外作業をせず、例年通りひたすらスイカを食べて過ごしました

まずは、さだまさしの歌を一曲

 


 そして、高柳さんの師、無着成恭先生が先週末亡くなったこともあり、午前は無着先生のお話や仏教などのお話でした。

 おかげさま農場という名前がどこから来たか、という由来や、ご縁が繋がって出来たこと、色々面白かったな~。

 細かく知りたい人がいますか?高柳さんのこと、おかげさま農場の由来を知りたい人もいると思うので、ちょっと細かく書いてみましょう

 

 高柳さんの仲間が地元の中学校の教育部長(今で言う家庭教育学級かな?)になって、「今年は誰か面白い人を講演会で呼べないものか」となっていたそうです。

 当時、無着先生は明星学園を退職していたころ。

 無着先生は山形師範学校で先生をしていたのですが、辞めて駒澤大学で仏教を学び直していました。理由は「子供の質問に答えられなかったから」。子供の質問に真摯に一緒に考え、学び、共有し、育てる事が信条だったのに、その子供の質問に答えられないので、学び直し、ということですね。恐らく自分を未熟者と判断されたのでしょう。

 で、駒澤大学の学長の知り合いが明星学園の学長で、紹介で「是非、うちに」ということで、明星学園の教師になったそうです。

 ところが、国の指導も有り、中高一貫教育の明星学園が、中等部から高等部に進学する際に「試験を行い、落第者進学できない」という制度を取り入れることになったそうです。

 無着先生は「明星学園という学校を保護者や子供が選んでもらったからには、教育者というのは最後まで面倒を見る責任がある。だからテストを行うのは良いにして、それが及第点に行かなかったからといって、進学させない、というのは承諾できない」と、反対したそうです。

 しかし、主張が通らず、「それなら私はここに居る必要はありません」といって、退職されたそうです。

 そういった、時間がある時だったということ、また、高柳さんの地元の知り合いのお坊さんが、曹洞宗で、無着先生と繋がっていて、「無着先生、呼んでみましょうか?」と言ってくれて、「呼べるのか?頼む!」となって、講演会に来てくれた、というのが最初のきっかけ。

 その時の講演のタイトルが「現代における教育の問題」で、もう40年前の話だそうですが、「このままでは日本はダメになる」というお話だったそうです。当時から核家族化が進み、先祖やおじいちゃん、おばあちゃんといった先代から受け継がれてきたものが切り離されていく時代になった。また、学力主義で思いやりや決断することといった人として生きるために必要な事、これは知識のように覚える事ではなく、自分で行動することで育てていくもの、そういった教育がなされなくなってしまった。なので「このままでは日本はダメになる」という講演だったそうです。

 そんな話は高柳さんも好きですから、意気投合し、東京で飲むこともあったそうです。

 ただ、高柳さんも若かったので、「先生よ、あんた、農業は大事だとか良く言うけど、こんな東京で言っていても真実みが薄いな。もっと田舎に来て農村の実情を知るべきだよ」という事を言っていたそうです。

 そうしたら、無着先生が本当に近くの多古町の福泉寺というお寺に来たのです

 当時、いくつかのお寺さんから住職に、ということでお声がかかっていたそうなのですが、「檀家が少ないところ」という条件と田舎ということで、福泉寺を選んだそう。檀家が少ないというのは、「本来のお坊さんは説法をするのが仕事で、葬式坊主にはなってはいけない」という信条があったから。

 それで、高柳さんの近くのお寺ということで、交流もあり、何年か経ってから、高柳さんが「先生よ、よくこんな田舎に来たな」と言ったら、「それは高柳さん、あなたがそういったからでしょ。責任とってね(笑)」という話になったというエピソードも

 そして、高柳さんも当時、大栄産直会というのを仲間と作って、千葉の花見川団地に売りにいったり、あとは永六輔さんがラジオリスナーを連れて福泉寺へ無着先生の講演を聴きに来た時に、「高柳さん、あなたも話して」ということで、「ちゃんとした命を食べないといけない」と話していたら、「そういったものはどこで買えるんですか?」と聞かれて、返答に困ったこと。そういった流れから、無着先生が「高柳さん、あなた何やっているんですか?」と突っ込まれ、自分で言った「ちゃんとしたものを伝えれる場所」として、組織を作ろうと思い、その流れで、無着先生の奥さんがお寺の敷地で小さな家庭菜園をやっていて、そこを「おかげさま農場」と名付けていたことがあり、「その名前、使わせてもらって良いか?」と聞いたところ、「え~、是非。こういった名前はみながどんどん使って欲しいので」ということで、「おかげさま農場」という看板にしたそうです。

 高柳さんも「ご縁だな~。ご縁が繋がっておかげさま農場が出来たんだよ」と語っていました


 また、釣り好きの参加者がヒラメのお造りを持って来てくれて、高柳さんのヒマワリ油と高級ソルトでお昼がいつもより更に贅沢に♪ 今日は風が強かったので、お昼は小屋の中ではなく外に出て桜の木の下で食べましたが、気持ち良かった♪

午後の休憩を挟んだ後も、まだ暑かったので、のんびりスイカを食べて過ごし、16時頃から畑作業へ。

まず、月に播いたゴマは今年は久々にきちんと生育して、ゴマの実を割って生育途中を見たり、その後はお土産としてミニトマトやゴーヤなどを沢山穫ったり、暑いながらも充実した1日でした。

そんなこんなで終了時刻が初の19時になんだかんだ濃くて長い1日でした